見事リーグ三連覇!
強いカープですが、今年は日本一を目指しています。
悲願の日本一を目指したいところですが、カープは過去に何度日本一になった事があるのでしょうか?
また、リーグ優勝は何回なのでしょうか?
その辺り、対戦成績と一緒にみて行きましょう。
リーグ優勝回数は9回で日本一は3回!
広島カープは1950年に設立された球団です。
創設後はしばらく低迷する時代が続きましたが、1975年にセントラルリーグ初優勝を果たし、1979年には初の日本一となりました。
広島カープのセントラルリーグ優勝は1975年・1979年・1980年・1984年・1986年・1991年・2016年・2017年2018年の9回達成しており、そのうち1979年・1980年・1984年の3回は日本一に輝いております。
しかし、1984年以降は日本一から遠ざかり昨年の2017年まで33年間栄冠をつかんでいません。
これは、現在存在するプロ野球の球団の中で最も日本一から遠ざかる球団となっています。
2018年はクライマックスシリーズへの進出が確定しており34年ぶりの日本一を期待されています。
2007年からクライマックスシリーズが始まり、レギュラーシーズで3位以内に入れば日本シリーズ進出を懸けて戦うことができます。
この制度が導入されてから広島東洋カープがセリーグで優勝した回数は3度ありますが、日本一までは残念ながら到達していません。
一方でこの制度が導入される前には、リーグ優勝が1970年以降で6度あり、そのうち3度日本一になっています。
日本一はいずれも古葉監督の頃で、ミスター赤ヘル山本浩二や衣笠祥雄など他にも多くの名選手が所属した時代です。
緒方監督が就任し、カープ女子といったブームにも乗って成績も上向いています。
1984年以来30数年ぶりの日本一も夢ではないでしょう。チーム年間最高勝率を2017年に更新している点も好材料です。
【1975年】対阪急ブレーブス戦
広島が初優勝を果たした年の日本シリーズの相手は黄金期を迎えていた阪急ブレーブスでした。
リーグ優勝できた点は喜ばしいトピックでしたが、阪急ブレーブスを相手に戦った日本シリーズでは1勝もすることなく敗退しました。
過去10年間で6度目の優勝を果たし、この年からパシフィックリーグ4連覇することとなる王者です。
広島カープは、中軸として座り始めた山本浩二・衣笠祥雄を看板に強力打線で対抗しましたが、初戦の3-3と第4戦の4-4の2度の引き分け以外は4敗と阪急ブレーブスに1勝もすることができずに敗退してしまいました。
阪急ブレーブスは、世界の盗塁王・福本豊を筆頭に加藤秀司・長池徳二などの中軸打者に加え山田久志や山口高志などの強力投手陣が揃っており、圧倒的な強さを誇りました。
このシリーズでは4時間を超える白熱した試合があり2度の引き分けとなりましたが、引き分けが複数回あった日本シリーズは1975年が唯一の記録です。
このシリーズのMVPにも選出された阪急のルーキー山口高志投手は初戦同点の場面でリリーフとしてマウンドに上がります。
その後両チーム譲らず第1戦は引き分けに終わりました。
それが尾を引いてか結局最後まで波に乗ることができませんでした。
阪急山口投手は第3戦に先発して勝利、第4戦リリーフ登板で引き分け第5戦と第6戦ともにリリーフとして投げ活躍しました。
このシリーズでは第5戦でホームランを放ったものの衣笠の当たりが止まったのはカープの誤算だったでしょう。
【1979年】対近鉄バファローズ戦|初の日本一
1979年の日本シリーズはカープが初めて日本一に輝いた年です。
相手は過去数度日本シリーズを経験している名将西本幸雄監督率いるパリーグ初優勝の近鉄バファローズでした。
カープのレギュラーシーズンは山本浩二がホームラン42本を記録したのを筆頭に20本以上の選手が5人も揃い、かつ17勝の北別府と最優秀救援投手江夏を擁する素晴らしいチームでした。
自信を持って望んだ日本シリーズでしたが、カープは大阪球場で戦った第1.2戦で、それぞれ2ー5、0ー4と近鉄が勝利し、第1戦と2戦を続けて落とします。
第3戦も終盤までリードを許す展開でしたが、7回に逆転し江夏のリリーフで逃げ切り日本シリーズの初勝利を手にします。
広島が日本一に王手をかけた大阪球場での第6戦は2-6で近鉄が勝利し、双方王手をかけて最終戦を迎えました。
本拠地チームが第6戦まで勝ち続けるなか、最終戦は逆にビジターの広島が4-3とリードで最終回を迎えます。
この後3勝3敗で迎えた第7戦で、あの伝説となった「江夏の21球」と称される球史に残る試合となりました。
広島のリリーフエース江夏豊はヒット・盗塁・エラーなどで無死満塁の絶体絶命のピンチを迎えます。
この場面で強打者・佐々木を三振にとり、一死後の石渡の打席で近鉄側のスクイズの作戦を見破り失敗させてこの回を抑え、広島カープが初の日本一の栄冠を手にしました。
【1980年】対近鉄バファローズ戦|日本一連覇
1980年の日本シリーズもまた前年と同様に広島東京カープ対近鉄バファローズの対決になりました。
前年に続き、打線は中軸の山本浩二・衣笠祥雄を中心に、俊足の高橋慶彦等が活躍しました。
投手陣は、山根和夫や北別府学を先発の軸として、リリーフの江夏豊かや大野豊といった豊富な投手陣を擁して挑んだ日本シリーズでした。
バファローズの西本監督は異なるチームを含めて合計7度もリーグ優勝を果たしながら、日本一を1度も達成していない不運の名将で、この年ばかりは悲願を達成したかったでしょう。
その気持がナインを後押ししたのか、前年同様バファローズのシリーズ2連勝で始まります。
しかしこれも因果かカープはその後の2試合を連勝し、2勝2敗とします。
ただ前年と異なったのは第5戦をバファローズが勝利し日本一に王手をかけました。
ところが優勝はまたしても最終戦にもつれ込みます。第6戦に広島が勝利して最終戦を迎えました。
このシリーズでは、広島の山根が1勝、近鉄の鈴木が2勝と活躍して迎えた最終戦でした。
広島は先発に山根を起用しますが、6回に逆転を許し、2ー3で迎えた6回裏に近鉄は鈴木を投入します。
中1日と疲れのある鈴木から広島打線が得点を奪い最終的には8-3で2連覇を達成しました。
セントラルリーグでは同一球団の日本シリーズ連覇はこれが最後です。
【1984年】対阪急ブレーブス戦|3度目の日本一
1984年は広島東洋カープにとって初めて日本シリーズに進出した際に苦汁を嘗めた阪急ブレーブスです。
監督はカープ古葉でブレーブス上田という1975年と同じ顔です。
ただ当時と異なるのは既に広島は2度の日本一を経験していることで、これは大きな違いでした。
1984年の日本シリーズは広島最後の日本一の年となります。
この年の相手は初優勝時の対戦相手である阪急ブレーブスです。
この当時の広島カープには、先の選手に加えて個性的な主力選手が増えており、打線ではスイッチヒッターの山崎隆造や三拍子揃った長島清幸のほか頭脳的なリードを行う達川光男などがおり、投手ではサウスポーの川口和久や江夏豊に代わる抑えの小林誠二などがいました。
対する阪急も陣容が代わり、スイッチヒッターの松永や三冠王のブーマーなど強力打線を誇りました。
初戦はブレーブスのベテランエース山田でしたが、カープが先勝します。
しかし第2戦目は北別府で落とします。
ブレーブスの本拠地に試合会場を移してカープは2連勝を飾ります。
これで3勝1敗で優勝に王手です。
過去日本一に3度連続で輝いたブレーブスだけあり、簡単に軍門に下ることはなく決着は第7戦まで待つことになります。
ブレーブスは満を持してエース山田をぶつけましたが、本シリーズで山田に対し2勝しているカープを止められず、シリーズ好調の長島清幸に本塁打を打ち広島が4勝3敗でシリーズを制し、カープが3度目の日本一に輝きました。
広島は制覇した3度の日本シリーズにおいていずれも4勝3敗で栄冠を手にしています。
これが最後の日本一であり33年間栄冠を飾れていません。
1986年 対西武ライオンズ戦
広島カープはそれまで3度の日本一に輝いていましたが、前回の日本一から僅か2年後の1986年、再度リーグ優勝を果たします。
阿南監督率いるカープが共に監督就任1年目の森監督率いる西武と日本シリーズを戦いました。
この年は阿南準郎監督が就任したばかりでしたが、新人王を獲得した長富投手やタイトルを総なめにした北別府投手、また純国産と言われた生え抜き選手中心の強力打線などの力でセ・リーグを制覇することができました。
開幕第1戦は延長14回で引き分け、続く第2戦からカープが3連勝で王手をかけます。
このままの勢いでカープがシリーズを制覇する流れかと思われました。
しかし5戦目にサヨナラ負けを喫したのを機に流れが一気に変わり、そのまま3連敗を喫することになります。
第5戦から西武が巻き返し3連勝したため対戦成績は3勝3敗1引き分けのタイとなりました。
このため、日本シリーズ史上初の第8戦が行われ、西武が3-2で広島を破り、3年ぶり6度目の日本一に輝きました。
3連敗からの4連勝で日本一となったのは1958年の西鉄以来、シリーズ史上2度目のことでした。
なお、この前年から日本シリーズにDH制が導入されましたが、当時は隔年方式だったため、この年はDH制はありませんでした。
また、日本シリーズで第8戦が開催されたのは現在のところ、この年が唯一となっています。
【1991年】対西武ライオンズ戦
80年代の黄金期を支えた名選手である山本浩二を監督に迎えて3年目、カープは日本シリーズで西武ライオンズに雪辱を果たす機会を迎えます。
5年ぶりに優勝した山本監督率いるカープが、パ・リーグ2連覇の森監督率いる西武と対決するという日本シリーズとなりました。
1991年は佐々岡投手、川口投手、北別府投手の3人が投手タイトルのほとんどを独占する活躍を見せるなど、守り勝つ野球を徹底した強さを見せたカープがセ・リーグの優勝チームとなりました。
カープが進出した前回の日本シリーズと同じ顔合わせとなった西武との対戦では、西武有利との見方が多い中予想を覆してカープがリードする展開を迎えます。
第1戦は西武が第2戦はカープが勝って1勝ずつした後、移動日をはさんで第3戦は西武が勝ち、続く第4・5戦はカープが連勝してカープが先に王手をかけました。
4戦目と5戦目を連勝したカープは対戦成績を3勝2敗として日本一まであと一歩のところまで西武を追い詰めましたが、最後の最後で連敗を喫して再び逆転により西武に日本一の座を明け渡すことになってしまいました。
奇しくも前回対決の1986年に続いて逆転での西武日本一達成となりました。
勝負のポイントはいくつかありましたが、特に投手の起用が分かれ目となり、2勝をあげてMVPにもなった西武・工藤に対し、カープは佐々岡と川口を序盤から投入したことが結果的には裏目となりました。
なお、これは広島市民球場で開催された最後の日本シリーズとなっています。
【2016年】対北海道日本ハムファイターズ戦
前回の優勝以降はBクラスに沈むことが多かったカープですが、2016年にようやくセ・リーグ優勝の栄冠に輝きます。
この年はリーグ序盤から首位を走り、6月以降は一度も1位の座を譲ることなく独走して優勝を果たしました。
緒方監督率いるカープと栗山監督率いる日本ハムが、共にレギュラーシーズンで優勝後、クライマックスシリーズも勝ち抜いて日本シリーズで対決することとなりました。
カープは1991年以来25年ぶり7度目、日本ハムは2012年以来4年ぶり7度目のシリーズ出場で、両チームが日本シリーズで対戦するのはこの年が初めてでした。
シリーズ開幕を本拠地のマツダスタジアムで迎えたカープは最初の2戦を連勝し勢いに乗ったかに見えます。
しかし札幌ドームに移ってから3連敗を喫し、再び戻った本拠地でも敗戦した結果、連勝の後4連敗で日本一を逃してしまうことになりました。
全試合で先制したものの連勝後は日本ハムに逆転を許す展開が続き、カープにとっては悔しい日本シリーズだったと言えるでしょう。
三大都市圏に本拠地をもたないチーム同士、そして、最も地理的に離れた2チームの対決と、史上初となる話題性の多い日本シリーズでした。
特に移動距離が長かったため、カープはこのシリーズ専用のチャーター機まで用意していました。
【2017年】まさかのクライマックスシリーズ敗退
2017年 クライマックスシリーズ敗退 2017年のカープは、緒方監督3年目のシーズンで、レギュラーシーズンは2年連続8度目のリーグ優勝を達成したのですが、クライマックスシリーズで敗退したため、日本シリーズ出場はなりませんでした。
2017年、カープは引退した黒田投手の穴を感じさせず前年優勝した勢いのままセ・リーグで勝ち続け、この年も6月以降首位を独走したままセ・リーグ優勝を果たします。
カープのリーグ連覇は79年と80年以来実に40年近い時を隔てた偉業でしたが、その後進出したクライマックスシリーズで思わぬ悲劇に見舞われることになりました。
クライマックスシリーズでは3位から勝ち上がってきた横浜DeNAベイスターズと対戦しましたが、リーグ優勝チームに与えられるアドバンテージの1勝を除けば横浜に一度しか勝てず、2勝4敗の成績で日本シリーズ進出の権利を横浜に譲る結果となってしまったのです。
セ・リーグでは圧倒的な大差で優勝したものの対戦成績では唯一分の悪かった横浜が相手でしたが、数少ない不安がクライマックスシリーズで的中してしまった格好です。
セ・リーグでレギュラーシーズンを勝ち越した球団が日本シリーズに出場できなかったのは、この時点で2チーム目でした。
この年のクライマックスシリーズは悪天候に見舞われ、ファーストステージは雨天中止の1日を含み、計4日間が甲子園球場で行われました。
このため、リーグトップのカープはレギュラーシーズン終了後からかなりの試合間隔を空ける形でファイナルステージに臨むことになり、選手たちの実戦感覚が鈍ったことが敗退の要因になったのではないかといわれています。
2018年は日本一!?
2018年のカープは高校野球の甲子園大会で活躍した中村奨成(広陵高)をドラフト1位で獲得するなど新戦力を加え、開幕から好調なスタートを切ると首位をキープし続けました。
カープは更に圧倒的な力を見せつけ、4月末から一度もその座を降りることなく首位に立ち続けて見事優勝しました。
カープの3連覇は過去に例がなく、また、セ・リーグでも巨人しか達成したことのない快挙です。
パ・リーグはカープ同様にずっと首位を独走している西武の優勝が有力かと思われましたが、ソフトバンクが「クライマックスシリーズ」を制覇しました。
なんとこのカード。
南海時代から数えても、カープ対ホークスというのは、一度も対戦がありません。
2016年に久々の優勝をした際に、ソフトバンクのとの対戦が見込まれましたが、結局日本ハムとの試合になりました。
今まで3回の日本一になっているカープですが、最後にその栄冠に輝いたのは1984年となっています。
このままの成績でいけば、今年もカープを含む3球団がクライマックスシリーズを戦うことになり、もしカープが日本シリーズに進出し、日本一に輝けば実に34年ぶりということになります。
昨年の雪辱を果たすべく、球団史上初となるリーグ3連覇、そして悲願の日本一へとファンの期待は高まります。
まとめ
今回は「カープが日本一になったのはいつ?」をテーマに過去の試合を振り返ってみました。
今年は悲願の日本一を目指して頑張って欲しいですね。